このページは、後編です!!前編を見ていない方は是非前編からご覧くださいませ!!
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【若い子は見よ】お魚屋の、とあるバイトくんのお話【実話】前編
青年A君のとんでもエピソード
彼にはいくつものエピソードがあるのだ。前編でそこそこ書き記したが、ここでは彼の簡単にばれた嘘と未だ語り継がれている伝説などを記していこうと思う。どうか皆さんはこんな風にならないで欲しい。
尚、おまいつとA君は友達のような関係性でもあるのでそれを頭に入れた上で見て欲しい
授業があるのでバイトに出れません・・・と言いつつBBQ(その日は祭日)






初めからそう言おうや!
後日談:休みをあげたものの、BBQは女性陣が全員ドタキャンしたため当日やらないことになったそう
親がくるので3連休ください!!(親は来ていない)


彼が希望休をいれたその日、最寄り駅で友達と楽しそう電車に乗っていくA君を見た僕の心は爆発した。
嘘つくのへたくそかよ
洗濯物生渇き事件
A君は生活もなかなかにだらしない。部屋にいくと常に服の山が築き上げられている。いつものことである。
バイトにくると、2日に1回は服が生渇きで臭いのである。勘弁してほしい。
皆さんは嗅いだことがあるだろうか、あの洗濯物の生渇きの臭いを。
なかなか不快感を覚えるのであるが、何故注意されても同じことを繰り返してしまうのか。それもまた、不思議である。
賭け事弱いのにめちゃくちゃ賭け事
彼は賭け事に関する運と実力は全くない。本人も気づいているはずなのだ。
なのに毎回給料が入ると、スロットを打ちにいってしまう。もちろん、大負けだ。
周りに止められてもこっそりと打ちにいき、ひっそりと負けてしまう。さすがである。奨学金もすぐに無くなってしまう・・・。
毎月貰える金額のMAX額を受け取りながら、月末には貯金は無いのだ。呆れるしかない・・・。
最終面接当日に伝説の寝坊
そんな彼であるが、コネ(笑)を使いなんとか会社の最終面接まで残ることが出来た(先輩たち社員の必死のフォローがあったのは内緒)のだが、大学生の面接日当日に休みだったおまいつの元へ一本の電話が入った・・・
「A君のこと知らない??時間に来なくて電話にも出ないんだよ~」
寝坊である
奴はよく寝坊をするのである、夜更かしをしての寝坊。たちが悪い・・・。
わざわざ家まで起こしにいき、本社まで走らせた。
さすがである、最終面接の日に寝坊をする人。世の中に何人いるのだろう。
毎日の規則正しい生活はこういうときに発揮されるとおもう。

またこれ
青年A君が内定を貰った!!!!
そんなこんなの青年A君なのだが、なんと奇跡の内定を貰ってしまった。自分が面接官なら絶対に落としている
どういう一手を放ったのか、まさしく起死回生である。4年間続けてきたアルバイト君が、晴れて来年から新入社員として入社してくるのだ。彼を知っているおまいつ含めバイト先の社員さんたちの動揺はなかなかのものであった。
何はともあれ、おめでたい。普段滅多に行かないような高級焼肉屋さんで大いに祝杯をあげたのである。
その後のまさかの展開・・・
世の中、そううまくはいかない。どこかで運を使い果たしたら、次は崖っぷちの人生が待っているものである。
A君は、大学4年生の秋。
留年した。
就職が決まってからの事である。自分のサボり癖が災いしたのである。
彼の卒業は早くて2018年9月になった。
全関係者が溜息を吐く姿も想像に容易かろう・・・。
彼の入社も無くなった。何故か救済措置も取られたのだが、さすがに彼もいづらくなったのだろう。内定を取り消してもらった。
最終的に彼は、実家のある県で就職することにした。
しかし、2度目の内定が決まったとき、誰も彼を祝福するものはいなかった・・・。
(おまいつは1000円ギフト券をあげたが)
奨学金が・・・
ちなみに、留年すると奨学金は出なくなる。卒業するまでバイトで頑張っていかなければいけないのだ。
前項にも書いたが、彼の卒業見込みは2018年9月に先延ばしになった。奨学金を毎月MAXの金額で借りていた彼はどうやっていくのだろうか。
毎月お金をきっちり使い切っていた彼に、未来はあるのであろうか・・・。
今の彼は奨学金が無くなり生活水準も下げれず絶望している。奨学金は遊びのために使うものではない。
反面教師みたいな感じでおまいつとしてとてもいい勉強になったのだが。
まとめ
今回はおまいつが今まで出会った中でトップクラスにクレイジーな青年A君のお話をしてきた。
若い子たち、絶対彼みたいにはならないでほしい・・・。
今後の人生、どう切り開いていくかは自分次第ではあるが・・・。
おさらいだ!
- 奨学金は遊びに使うな、賭けはごもっとも
- 就職が決まるまでは規則正しい生活をせよ
- 嘘をつくな、嘘はいつかバレるぞ
2018年9月卒業見込みだった彼はまたまた単位を取りこぼし、
また卒業できなかった